プロフィール

小柳はじめ


家族構成────

  • 胎内市出身の妻と社会人の長女と同居。
  • ネパール地震で被災した小学3年生の女の子“ラビナ”の里親になっている。

 

資格・趣味・特技────

  • 機械分野、化学分野、電気、消防など独学で取得した資格は多数。
  • 趣味が高じたスキー準指導員の他、海外添乗資格やバイク免許も所持。
  • 教室にも通っていた料理や食べ歩きが楽しみ。
小学校スキー授業で指導ボランティアに参加
小学校スキー授業で指導ボランティアに参加

 

好きな食べ物────

  • 近海物の鮨、新発田産の美味しい野菜
  • 川東でとれるコシヒカリ
  • 鰻の蒲焼

好きな場所────

  • 川東の田園風景と四季折々の顔を見せる二王子山
  • 大自然のアラスカ・食と文化のロシア

資格────

  • 機械、化学、電気、消防等独学で取得した資格は多数
  • 海外添乗資格や大型二種免許(バス)も所持

 

座右の銘────

  • 和而不同

 

尊敬する人物────

  • 祖父 小柳牧衛
  • ピーター・ドラッカー
  • ロバート・シュラー 
平成27年2月議会一般質問で登壇
平成27年2月議会一般質問で登壇

略歴

昭和40年(1965年)──── 

東京都中央区に生まれる。祖父は川東出身の内務官僚で、青森・福島・長崎・兵庫の各県知事、第13代新潟市長、衆参両議員を歴任した「小柳牧衛」。

 

昭和59年(1984年)──── 

新潟工業高校工業化学科卒業後、協和ガス化学工業(後にクラレに吸収合併)に10年間勤務。

 

昭和63年(1988年)──── 

ボランティアで「下越音楽鑑賞協会」を設立。現在まで代表~事務局長として会運営、コンサート企画で主導的役割を果たす。

 

平成5年(1993年)──── 

クラレを退社し、スキー場でパトロール等のフリーター生活を挟み、畑違いの旅行会社に転職。

 

平成9年(1997年)──── 

イベント・コンサート制作会社「KOKK」を新発田市に設立。

 

平成13年(2001年)──── 

KOKKの新設旅行部門「ハミングツアー」に入社し、新潟市、胎内市に旅行店舗を開設。

  

登山ツアー添乗でキナバル山(4,095m)登頂
登山ツアー添乗でキナバル山(4,095m)登頂

 

 

平成17年(2005年)────

新発田市長選で10466票を得るも落選。

 

平成19年(2007年)──── 

デザイン制作・印刷部門を開設。

 

平成20年(2008年)──── 

貸切バス部門「ハミングバス」を開設。 

 

大型観光バスの運転中
大型観光バスの運転中

平成21年(2009年)────

新潟大学経済学部に社会人入学、若者たちと机を並べ、経済・経営学の基礎から地方財政、税務、公共経営、法学など幅広く勉強。

 

平成23年(2011年)────

新発田市議会議員に初当選し、総務常任委員会に所属。

 

平成25年(2013年)────

情報システム学会に於いて「二王子岳登山者の解析データ」を基に、年間登山者数を推定した研究論文を発表。

 

平成27年(2015年)────

新潟大学経済学部を6年がかりで卒業。

新発田市議会議員に2期目の当選。

 

平成30年(2018年)────

新発田活性化の一環で新潟駅・空港~月岡温泉を結ぶ定期バスを運行開始。

月岡温泉街に外国人をターゲットとした泊食分離型和風ホテルを開設。

 

現在(2019年)────

地域活性化をミッションとした会社経営と並行して、市議会総務常任委員長として「ショッピングセンター期日前投票所開設」「公共交通の充実」「上中山豚舎悪臭問題」などに積極的に取り組んでいる。

 

総務常任委員長として委員会を開催
総務常任委員長として委員会を開催

小柳はじめの祖父「小柳牧衛」のこと

祖父の小柳牧衛小柳牧衛は川東の旧竹俣村出身で、新発田中学(現新発田高校)の一期生として主席で卒業後、第一高等学校(現東京大学教養課程)、東京帝国大学の政治学科に進みました。

 

卒業後は内務省に入省、官選により長崎、兵庫、福島、青森の各県知事を歴任後、13代新潟市長に就任しました。当時の新潟市の財政は火の車で、財政再建に取り組みつつも、文化的な意義を唱えて新潟市公会堂(現りゅーとぴあ)を完成させるなど、名物市長として今日まで語り継がれています。

 

新潟市長在任中、衆議院議員、戦後は参議院議員を歴任し、昭和43年に惜しまれつつも政界から引退しました。学費の捻出もままならない経済状況の中で、川東の有志から「出世払い」で学費を工面してもらった経験をもとに、現代も多くの学生が利用する奨学金制度「大日本日本育英会」を起案し、設立したことでも有名です。

 

大日本育英会の設立法案は、第2次世界大戦末期に小柳牧衛が文部政務官の時期に審議され、戦費調達がままならない中、軍部との壮絶な折衝を経て「次世代への教育投資」を決定したのはこの時代としては画期的な出来事でした。

 

政治不信が渦巻く今、清貧にして情熱的な政治への思いは、直系の孫に引き継がれています。

 

 

祖父の小柳牧衛
祖父の小柳牧衛