家族構成────
資格・趣味・特技────
好きな食べ物────
好きな場所────
資格────
座右の銘────
尊敬する人物────
昭和40年(1965年)────
東京都中央区に生まれる。祖父は川東出身の内務官僚で、青森・福島・長崎・兵庫の各県知事、第13代新潟市長、衆参両議員を歴任した「小柳牧衛」。
昭和59年(1984年)────
新潟工業高校工業化学科卒業後、協和ガス化学工業(後にクラレに吸収合併)に10年間勤務。
昭和63年(1988年)────
ボランティアで「下越音楽鑑賞協会」を設立。現在まで代表~事務局長として会運営、コンサート企画で主導的役割を果たし、2024年で200回目となる節目の公演を迎える。
平成5年(1993年)────
クラレを退社し、スキー場でパトロール等のフリーター生活を挟み、畑違いの旅行会社に転職。
平成9年(1997年)────
イベント・コンサート制作会社「KOKK」を新発田市に設立。
平成13年(2001年)────
旅行会社ハミングツアーを起業し新潟市、胎内市に店舗開設
平成17年(2005年)────
新発田市長選で10466票を得るも落選。
平成19年(2007年)────
デザイン制作・印刷部門を開設。
平成21年(2009年)────
新潟大学経済学部に社会人入学、経済・経営学をはじめ地方自治、公共経営、税法、法学など幅広く履修。
平成23年(2011年)────
新発田市議会議員に初当選し、総務常任委員会に所属。
平成25年(2013年)────
情報システム学会に於いて「二王子岳登山者の解析データ」を基に、年間登山者数を推定した研究論文を発表。
平成27年(2015年)────
新潟大学経済学部を6年がかりで卒業。
新発田市議会議員に2期目の当選。
平成29年(2017年)────
総務常任委員長に就任し「イオン期日前投票所開設」「公共交通の充実」「上中山豚舎悪臭問題」等の多くの課題に取り組む
平成30年(2018年)────
「月岡温泉周遊ライナー」を運行開始し泊食分離型ホテルを月岡に開設。
平成31年(2019年)────
新発田市議会議員に3期目の当選。議会運営委員長に就任し、議会報のリニューアル、YouTube議会報告、リモート議会など画期的な取組で「マニフェスト大賞」で初の地域ノミネートに選出。
令和3年(2021年)────
決算特別委員長に就任し、「深掘りテーマ」に基づく集中審議やコロナ予算の膨張部分を分離し、解りやすい議事進行を編み出す。
現在(2023年)────
地域活性化をミッションとした会社経営と並行して、無所属議員として地域のために活動中。
祖父の小柳牧衛小柳牧衛は川東の旧竹俣村出身で、新発田中学(現新発田高校)の一期生として主席で卒業後、第一高等学校(現東京大学教養課程)、東京帝国大学の政治学科に進みました。
卒業後は内務省に入省、官選により長崎、兵庫、福島、青森の各県知事を歴任後、13代新潟市長に就任しました。当時の新潟市の財政は火の車で、財政再建に取り組みつつも、文化的な意義を唱えて新潟市公会堂(現りゅーとぴあ)を完成させるなど、名物市長として今日まで語り継がれています。
新潟市長在任中、衆議院議員、戦後は参議院議員を歴任し、昭和43年に惜しまれつつも政界から引退しました。学費の捻出もままならない経済状況の中で、川東の有志から「出世払い」で学費を工面してもらった経験をもとに、現代も多くの学生が利用する奨学金制度「大日本日本育英会」を起案し、設立したことでも有名です。
大日本育英会の設立法案は、第2次世界大戦末期に小柳牧衛が文部政務官の時期に審議され、戦費調達がままならない中、軍部との壮絶な折衝を経て「次世代への教育投資」を決定したのはこの時代としては画期的な出来事でした。
政治不信が渦巻く今、清貧にして情熱的な政治への思いは、直系の孫に引き継がれています。